富野由悠季が劇場作品を作るなら観てみたいと思っていた
キャラクターデザイン 安彦良和
過去の資料を調べたところ、『ガンダムF91』は89年の秋くらいから作業が始まっていたようですね。
作業的にはアニメの『ヴイナス戦記』が89年の3月に公開した後で、その後アニメの仕事は辞めると決めた、ちょうどそのタイミングでした。
では、実質的に最後のアニメの仕事だったということですか?
『ヴイナス戦記』でアニメの仕事は完全に終わったと思っていたから、『ガンダムF91』の時はアニメの仕事をしているという認識はなかったですね。キャラクターデザインはアニメの仕事だから、改めて言われるとやっていたのかと思うくらいですね。
『ガンダムF91』どのような形でお仕事の依頼があったのでしょうか?
『機動戦士Ζガンダム』でキャラクターデザインをやっていたんだけど、その後もある時期まで何度か「ガンダムの続編に参加しないか?」という誘いがあったんですが、そうした誘いはもう無いだろうと思っていたあたりで話が来たのが『ガンダムF91』でした。でも、最初は乗り気じゃないという返事をしたと思います。
では、なぜお仕事を受ける気になられたんでしょうか?
『Ζガンダム』での仕事のイメージが悪かったというのが、乗り気じゃなかった理由です。『Ζガンダム』は、打ち合わせを一切やらないで、キャラクターだけを描けばいいんだという感じで仕事をして、そのやり方がどうにも腑に落ちなくて。そこで、「仕事をするにあたって、きちんと打ち合わせをさせてくれるならいいよ」と返事をしたんです。その結果、富野由悠季氏との打ち合わせの場を設けてくれる話になって。当時のサンライズの本社の会議室に、僕と富野氏、大河原さん、当時のサンライズ社長の山浦栄二さんというメンツを集めて、約束通り打ち合わせをしてくれました。その時、富野氏から「『ガンダムF91』は家族がテーマなんだ」っていう話を聞いたことは覚えています。ただ、きちんとしたやり取りがあまりできなかった記憶がありますね。それでも、全然打ち合わせができなかった『Ζガンダム』の時よりはまだマシな感じかなと。打ち合わせをしたということで、多分その時にキャラの発注もあったんじゃないかな?
劇場作品としてデザイン的にもチャレンジした作品
メカニカルデザイン 大河原邦男
『ガンダムF91』はどのような形で参加要請があったのでしょうか?
この作品は『機動戦士ガンダム』のメインスタッフで作って欲しいというサンライズの意向がありまして。私自身は『機動戦士Ζガンダム』で最初の頃に少しだけデザインに参加した後に若手デザイナーに引き継ぎ、『機動戦士ガンダムZZ』や『逆襲のシャア』では私も安彦さんも参加していない状況だったからか、再び旧スタッフでやって欲しいというところから始まったと記憶しています。当初は、バンダイさんとリンクしながら、主役となる新しいガンダムのデザインを進めていたんですが、富野監督から「劇場作品ということでもっとチャレンジングな作品にしたい」ということで、今までのガンダムにはない流れを入れたいと言われたんです。そこで、当時注目を集めていたF1レースなどのフォーミュラーカーのようなイメージで、ちょっと冒険したデザインを描き、それがガンダムF91とされました。その一方で、それまで主役として進めていたデザインは『ガンダムF90』という形でプラモデル展開をすることになったというのが大まかなデザインの流れですね。
アニメとしては、久しぶりのガンダム作品だったんですね。
『Ζガンダム』では、引き継ぎという意味でガンダムMk-Ⅱのデザインを描いて、それ以降はMSVなどのデザインは描いていましたが、映像ではガンダム作品はほとんどやっていなかったんです。本格的に関わる『機動武闘伝Gガンダム』や『新機動戦記ガンダムW』はそれよりも後ですからね。久しぶりのガンダムの映像作品ということで、少しは頑張ってみようと思ったのは覚えています。
『ガンダムF91』は、大河原さんのところに話が来た時点ではすでに「劇場作品のデザイン」として発注されたのでしょうか?
劇場作品だという話だったと思います。その当時から、劇場作品はTVシリーズと違って、クオリティの高いものが作れるということがあったので、関わるクリエイターもそれに応じたデザインや作業をしますよね。そういう意味では、私自身も意識はかなり違ったと思います。
設定を“劇”に昇華するために
原作・脚本・監督 富野由悠季
88年の『逆襲のシャア』でアムロとシャアの物語に決着をつけ、91年に改めて『機動戦士ガンダムF91』がスタートします。
僕が『F91』をどう考えて演出していたかといえば、“巨大ロボットもの”なんだけれど、それをちゃんと映画にしなければいけないんだ、ということです。映画にするということは、メカのディテールを細かく描くということではありません。物語、つまり“劇”を描くことでなくてはいけない。でも、モビルスーツという道具は物語を発生させるものではない。だから劇を描こうとするなら、モビルスーツのルックスから入ってはいけないんです。でも一方で、巨大ロボットものというジャンルである以上、メカのルックスがスペクタクルとして楽しめるように演出もしなくてはいけない。この相反する二つの要素を、一挙に見せる入り口というのを用意しなければ、“巨大ロボットもの”でかつ映画というものにはならないんです。そういう意味では『F91』も『逆襲のシャア』と同じ意識でもって演出をしています。
『F91』はクロスボーン・バンガードがフロンティアIVに攻め入るところから始まります。サンライズ資料室にあった絵コンテを見ると冒頭が、また別のカット構成になっていたのですが?
それは……決定に至る前の状態のコンテではないかと思います。自分としては現状の入り方が『F91』の入り方だと思っています。『F91』で目指したのは巨大ロボットのルックスから入って、すみやかにキャラクターが出てくるという構成です。そういう点では“ガンダム”を見ようと思っている方にとっては、『逆襲のシャア』よりも『F91』のほうが見やすいかもしれません。でも、作品全体としては、そういうことを意識しすぎたために、『F91』のほうが話としてよくわからなくなって、いい加減に終わっていますね。
それは段取りを追って物語を展開したことが失敗だったということでしょうか?
段取りの問題ではないですね。キャラクターの造形ですね。カロッゾというキャラクターを作ってしまったら、僕はそれでよいと思ってしまったんですね。それが一番の間違いでした。
カロッゾ=鉄仮面は、非常にユニークなキャラクターだと思います。
だから、そこが間違いのもとだったんです。キャラクターを思いついたことで安心してしまったんです。なぜ鉄仮面を被らなければならなかったのかを、もうちょっと突き詰めておかないと、結局は上っ面だけをなぞるような話になってしまうのに、それを考えていなかったということが、『F91』という作品にとっては、ものすごく大きな欠点になっています。たとえばセシリーが「お父さん、あなたはなんて酷い男だったんだ。情けないんだ!」なんていうことを言うとか、そういうところまで踏み込まなければいけないキャラクターだったのに……それを忘れていたんです。
なぜだったのでしょうか。
自分が親になっていたからです。子供から非難されることから逃げたんです。そういう劇は作りたくなかった。お父さんの存在を認めてほしいという心理があったことを、今思いだしました。今回のカラコレ(Blu-ray化するにあたっての色調の調整。カラーコレクション)の時に、ラストのラフレシアとの戦闘を見ていたんですが、絵面的にはいろいろやっているんだけれど、「どうもよくわからないよね」ということがあって、その時にはその理由がわからなかったんです。わからないのは、あのシーンの問題ではないんです。その前の段階で、セシリーとカロッゾの間に、鉄仮面になる前にどんなことがあったのか、そこを劇として組んでいなかった。だからラストのバトルが曖昧になってしまっている。そういう反省点があったにも関わらず、僕が今日まで気づくのをやめていたのは、自分が子育てを間違ったと認めたくなかったからですね。
当時のお嬢さんたちとの関係が影響してしまったわけですね。
『逆襲のシャア』のインタビューで、地球連邦軍がスポンサーと重なって見えるという話があったでしょう。それと同じことです。アニメといっても、こういうレベルで作劇をしようと考えていった時には、絶対にリアリズムが入り込んでくるんです。だから自分のことは隠せないんです。そのときのその人の人生観や人生論、悔しさみたいなものがものすごく出てしまいます。今、こういうふうにようやく説明ができるようになったのは、先月、松本清張原作の映画をまとめて見たからです。
松本清張ですか。
そうです。なかでも『張込み』(野村芳太郎監督)は、役者を含めかなり本気になって作っている映画でした。そこで驚いたのは夕立のシーンです。20カットぐらいある長いシーンで、かなりのロングショットも入っているんだけれど、ロケで撮影していて、雨の降り方がずっと同じなんです。何気なく見てしまって後で「あれっ?」て気がついたのだけれど、解説を見たら「あのシーンは実際にまさに僥倖で撮れた」と書いてありました。本当の雨が降っていたからこそあの画面になっていたわけです。作品のストーリーであれ、映像であれ、そういうふうにして“本物”との接点が生まれなければ、映像の中にリアリズムというのは生まれないんです。『F91』はそこから逃げたきらいがあるんです。
藤野貞義(音響)×辻谷耕史(シーブック・アノー役)×冬馬由美(セシリー・フェアチャイルド役)
シーブックとセシリーのキャスティングはどのように決まったのでしょうか?
一度歌っただけで、感動の空気が張り詰めるような力を感じました
主題歌歌手 森口博子
主題歌のオファーを受けた当時、森口さんは“バラドル”として活躍中でしたが、どんな思いで仕事を引き受けましたか?
バラエティのお仕事をやらせて頂き、「歌を歌いたい」という気持ちがとても強かったので、本当にうれしかったです。私のデビュー曲は、『機動戦士Ζガンダム』の主題歌『水の星へ愛をこめて』でしたから、ガンダムは私の原点。そのガンダムの歌をまた歌わせて頂けるというのが、一番の喜びでした。
『ETERNAL WIND〜ほほえみは光る風の中〜』は挿入歌で、当初は『君を見つめてーThe time I’m seeing you—』が主題歌だったそうですね。
そうなんです。レコーディングの時もカップリングのつもりで歌ったんですが、一度歌っただけで、感動の空気が張り詰めるような力を感じて、「これがカップリング?」と衝撃を受けたんです。あの時の感動は今も忘れられないのですが、歌い終わった後にみんなが「すごくいい曲だね」と感動して、「こっちが主題歌でもいいんじゃないか」という意見が集まって。レコーディングに立ち会ってた富野監督もそれを聴いていらっしゃって、実際に映像と合わせたときに変更なさったのだと思います
2つの曲を聴いたときのイメージは、どうでしたか?
『君を見つめて』は、富野監督ご自身が作詞なさっていますが、私の楽曲には数少ないロックテイストで、かっこよさの中にデリケートでエレガントな部分がありましたね。ユーロロックのような少しやさしさのある曲調だったので、歌っていて心地よかったです。『ETERNAL WIND』は、1コーラス目は静かに蕩々と入ってきて、2コーラス目にマーチングドラムが入って、徐々にテンションがあがり、3コーラス目でマックスに!起承転結の構成がすばらしい楽曲でした。詞の内容も曲調も、すごく作品のテーマに寄り添っていながらに、アニメを知らない人にも感動が生まれる名曲だと思いました。
ガンダムの新基準を作ろうと思いました
設定制作 井上幸一
『ガンダムF91』はどのように企画が始まったのでしょうか?
『逆襲のシャア』がひと段落ついたところで、バンダイさんから「新しいガンダムをやりたい」という声掛けがあって企画がスタートしました。制作するにあたっては、監督から新しいチャレンジをしたいからということで、アムロもシャアも登場しない、全く新しい企画でやろうと。辞書をひくと、「規格」の英語訳に「Formula(フォーミュラ)」という言葉が出て来て、これは「基準」という意味も含まれていたので、ガンダムの新基準を作るという意味で『ガンダムF91』とタイトルが付けられることになりました。メカデザインに関しては、『Ζガンダム』以降、出渕裕さんや伸童社さんにお願いしていたんですが、今回は原点に戻ろうということで、大河原さんに依頼しています。変形や合体といったギミックは付けないけど、何か新しい要素を加えたいとの検討の中で、「口があるガンダム」という案が出ていたので、そうした要素に対してメカデザインとして応えてくれるのは大河原さんしかいないというのもありました。そして、大河原さんにデザインをお願いして新基準を打ち立てるならば、キャラクターデザインは安彦さんに頼みたいという話になり、富野さん、大河原さん、安彦さんが再び揃うことになったという流れですね。
そうした流れの中で、設定制作という立場はどのようなお仕事をしていたのでしょうか?
当初はシナリオの追いかけをして、脚本の伊東恒久さんのところに何度も通っていました。その後は、キャラクターデザインを追いかけつつ、メインとなるガンダムのデザインを大河原さんのところに依頼、その両名には監督の富野さんの更なる注文をも伝えつつ進行、さらにそこに美術の池田さんも参加することとなり、これらをまとめて追いかけていました。文芸関係の仕事はシナリオが終わると作業終了となるんですが、その後のコンテ作業にもいろいろと意見やアイデアを出しつつ、一方では監督の求める必要な資料の調査などもやっていました。のちに設定画が上がってきたらそれを整理して制作や作画に回したりと、画面作りの元となる作業をしていました。
富野監督作品で、一番好きなようにやらせていただきました
美術 池田繁美
『逆襲のシャア』に引き続いて、『ガンダムF91』に参加したわけですが、同じ劇場版でも違いはあったのでしょうか?
『逆襲のシャア』は、『機動戦士ガンダムΖΖ』のテレビシリーズからの延長という形で、スタッフ的には慣れた状態で作業に入ったという感じだったんですが、『ガンダムF91』はそこからは時間が空いているのでスタッフも新たに組んでスタートしていて、慣れていないスタッフでの作業に苦労した記憶がありますね。
『ガンダムF91』は、ガンダムシリーズの仕切り直しという要素が強いですが、美術としてそのような感覚はありましたか?
そうした感覚はなかったですね。それよりも描き込みの細かさが増したという印象が強いです。『逆襲のシャア』は、劇場版ですが「テレビシリーズのレベルアップ」という感覚がありました。それに対して『ガンダムF91』は「純粋な劇場作品として作る」という話ですから。その結果、自然と背景美術の密度も上がっているんです。準備期間も全然違いましたからね。『ガンダムF91』の準備期間はかなりありました。
TVの経験が生きた“分身”シーン
撮影 奥井敦
『F91』当時の撮影のことを教えてください。
アナログのカメラを使った撮影手法は80年代後半までにはだいぶ出尽くしていた感じではありました。ただ、撮影台のハード面での改良はすすんでいました。僕らが仕事を始めたころは、「三面台」と呼ばれて、素材を置く面が横に3分割されていて、それぞれが自由にスライドするようにはなっていました。でも、それだとBOOK(画面手前に置く背景素材)、キャラクター、背景を置いてFollow密着引きをするぐらいが精一杯なんです。それが、それを超えるようなカメラワークが求められるようになって、六面で素材を引けるようにしたり、ガラスへのはめ替えをせずに透過光が使えるように最初からガラスをはめたものになったりと、だんだんハード面が改良されていくような、そういう時期でした。
その後にも影響した思い出深い作品です。
作画監督 村瀬修功
どういった経緯で『ガンダムF91』に関わることになったのでしょうか?
当時、僕は『鎧伝サムライトルーパー』のOVAに関わった流れから、サンライズに席があったんです。OVA作品などを中心に作業する、通称「ゼロスタ」と呼ばれる小規模な班があって、そこに常駐していまして。そこはサンライズの第2スタジオの分室的なスタジオだったんです。『ガンダムF91』が第2スタジオで制作されることに決定したので、その流れで声をかけてもらいました。劇場版を作るため、スタッフに選任されたというよりも、サンライズの2スタ関係者だから声がかかったという感じです。当時から、サンライズはスタジオごとに場所も別れていて、それぞれのプロデューサーがそれぞれのスタジオのスタッフとの関係を大切にしていて、スタジオごとの区分けがかなりはっきりしていたんですよね。『ガンダムF91』は劇場作品ということで、全スタジオに大号令がかかっているかと思いきや、担当スタジオでやってくれという感じでした。
お話をいただいた時はどのように思われましたか?
僕はそれまでに、マッドハウスなどの劇場作品で動画の仕事にかかわる機会があって、その経験から、劇場アニメのレベルやクオリティを自分なりに規定していたように思います。この内容のカットだったら、このくらいの手間と枚数が必要だという、テレビシリーズとは違う密度でものを作っている仕事を経験して知っていたということですね。だから、基本的にはその感覚でガンダムをやる意気込みを持ってスタジオに入ったという感じです。でも、サンライズとしてはテレビシリーズの延長くらいの規模での制作を考えていたようでした。